海外にいるけどMステもチェックしましたわよ。
いい時代です〜。
私もオザケンとほぼ同時期に日本を離れ、アメリカに来てしまいました。およそ20年も前になります。
もちろんオザケンの華々しいプロフィールに比べ、地味な私は境遇も違うし日本やアメリカでしてきた体験も全然違いますが、
小沢健二さんと同じくアメリカでアメリカ人と結婚して年は違えどハーフの子供が二人いる私にとって、親近感も勝手に湧いているのです。
新曲のサビ
新曲のサビ
『もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど』
のあたり
ひっじょうに共感できるのです。
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど』
のあたり
ひっじょうに共感できるのです。
もしも日本にずっといたならば私はどんな人生を送っていたんだろう、
誰と結婚してどんな子供がいただろう、あるいはしていないかもしれないけど
帰るたびに路線が増える地下鉄、あの沿線とこの沿線がくっついて便利になったり、街がどんどん綺麗になったりして、東京って本当すごいなかっこいいなと思うのです。
アメリカ生活が長くなって、子供もできて、引き返すことができなくなってから、
日本の良さがどんどんしみてくるのですよ。
「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」
私にとってはアメリカに来たことは間違いだったなー、なんて思ってしまうことも一週間に一度や二度あるんですけど。
もちろん20年前って日本もアメリカもまだいい時代だったんだなーとも思います。
今の世の中、きっと普通に生きていくのはどこでも大変なのかもしれない。低賃金化とか。
しかし間違って今の自分があるとしても、
『神の手の中にあるのなら
誰と結婚してどんな子供がいただろう、あるいはしていないかもしれないけど
帰るたびに路線が増える地下鉄、あの沿線とこの沿線がくっついて便利になったり、街がどんどん綺麗になったりして、東京って本当すごいなかっこいいなと思うのです。
アメリカ生活が長くなって、子供もできて、引き返すことができなくなってから、
日本の良さがどんどんしみてくるのですよ。
「もしも間違いに気がつくことがなかったのなら?」
私にとってはアメリカに来たことは間違いだったなー、なんて思ってしまうことも一週間に一度や二度あるんですけど。
もちろん20年前って日本もアメリカもまだいい時代だったんだなーとも思います。
今の世の中、きっと普通に生きていくのはどこでも大変なのかもしれない。低賃金化とか。
しかし間違って今の自分があるとしても、
『神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらい』
ここは人間としていつでも心がけていきたいと、私も思うのです。
『だけど意思は言葉を変え
言葉は都市を変えてゆく
躍動する流動体 数学的 美的に炸裂する蜃気楼
彗星のように昇り 起きている君の部屋までも届く』
言霊っていう通り、言葉で現実は変わっていき、空気も変えていく。
自分も変わるしそうすると周りも変わっていく。
どうせ変わるならば良い方向に進みたい、と19年ぶりでの新曲でもいいモチベーションをあたえてくれる小沢健二さんなのでした。
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